ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の起源は1920年にさかのぼる。当時はユーゴスラビア内のサラエボ・フットボール・サブアソシエーションとして設立されたのが直接の前身である。サッカー自体はそれよりも早く、オーストリア=ハンガリー帝国支配下の1903年にサラエボへ、1905年にモスタルへと伝わっており、この地域における比較的早期の導入国のひとつといえる。
20世紀の大半において、ボスニア出身の選手たちは独自の代表チームではなくユーゴスラビア代表としてプレーした。サフェト・スシッチ、イヴィツァ・オシム、ヴァヒド・ハリルホジッチ、ヨシップ・カタリンスキといった選手がその代表例であり、彼らはボスニア・サッカーのアイデンティティにとって今も欠かせない存在である。1992年の独立宣言を受け、協会は同年に独立機関として再設立された。
独立後の時代は、国内サッカーの統合に向けた長いプロセスによって特徴づけられる。民族的対立によって国内リーグは分断されており、ボスニャク系とボスニア・クロアチア系のクラブが同じリーグで戦い始めたのは1997–98シーズンのことである。ボスニア・セルビア系クラブの合流は2002年まで待つ必要があった。統合されたボスニア・ヘルツェゴビナ・プレミアリーグは2002–03シーズンから継続的に運営されている。
2000年代は協会のガバナンス問題が続き、単独の会長を置かないことを理由に2011年4月にFIFAとUEFAから資格停止処分を受けるに至った。名将イヴィツァ・オシムが率いる正常化委員会が問題解決を主導し、2012年12月にはエルヴェディン・ベギッチが協会史上初の単独会長に選出された。代表チームは2014年ブラジルW杯で史上初の本大会出場を果たし、現在もUEFA加盟国として新たな歴史の構築を目指している。

