FCバルセロナは1899年11月29日、スイス人実業家ハンス(ジョアン)・ガンペールが「サッカー愛好家を募る」とカタルーニャの新聞に広告を出したことから始まる。ヒムナスィオ・ソレでの創設会合には、スイス、イングランド、ドイツ、カタルーニャから11名が集まった。クラブカラーの紺色とエンジ色(ブラウグラナ)、そしてカタルーニャの文化と抵抗——特にフランコ独裁政権下での——を象徴する立場は、モットー「Més que un club(クラブ以上の存在)」に集約されている。1957年から本拠地としてきたカンプ・ノウは現在大規模改修中で、チームは仮ホームのエスタディ・オリンピック・ルイス・カンパニスでプレーしている。
ラ・リーガ27度、コパ・デル・レイ最多32度、UEFAチャンピオンズリーグ5度(1992年ウェンブリー=ヨハン・クライフ率いる「ドリーム・チーム」初優勝、2006年、2009年、2011年、2015年)の獲得は、世界サッカーの最高峰の一角に位置づけられる証である。アヤックスのトータル・フットボールの伝統をクラブに持ち込んだクライフの選手・監督としての時代が、バルサのアイデンティティを形作った。2008-2012年のペップ・グアルディオラ時代には、リオネル・メッシ、シャビ、アンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケツ、カルレス・プジョルらを擁した「ティキ・タカ」の伝説的チームが、上記4度のうち3度のチャンピオンズリーグ優勝、そして2009年の史上初「6冠(セクスチュプル)」を達成した。
リオネル・メッシのトップチームでの17年間(2004-2021)は、一人の選手が単一クラブで残した史上最多の戦績——35タイトル、バルサ在籍中のバロンドール8度、クラブ最多得点(672)と最多出場(778)の記録——を誇る。2021年に契約延長叶わずパリ・サンジェルマンへ移籍した一件は、今もファンに深い感情的な傷を残している。メッシ、イニエスタ、シャビ、ブスケツ、グアルディオラ、ペドリ、ラミン・ヤマル、ガビらを輩出した育成機関「ラ・マシア」は、世界サッカー史上最も成功したユースアカデミーである。2024-25シーズンには、若きヤマルの輝きとハンジ・フリック監督のもとラ・リーガを制覇し、ポスト・メッシ時代の混乱を経て王座復帰を果たした。レアル・マドリードとの「エル・クラシコ」(世界最多視聴のクラブ対戦)がクラブを象徴する宿命の一戦で、地元エスパニョールとの「バルセロナダービー」も地域文脈を完成させる。

