ボルシア・メンヒェングラートバッハ(正式名: ボルシア・フェアアイン・フュア・ライベスユーブンゲン1900 e.V. メンヒェングラートバッハ)は1900年8月1日、ドイツ西部の都市メンヒェングラートバッハで創設された。「ボルシア」の名称は、ボルシア・ドルトムントと同様にプロイセンのラテン語形に由来する。クラブの代名詞である緑・白・黒のクラブカラーと「Fohlen(仔馬)」の象徴、攻撃サッカーの伝統は1970年代に確立された。2004年に長年の本拠地ベケルベルクシュタディオンから新本拠地ボルシア・パーク(収容54,022人)へと移転した。
ボルシア・メンヒェングラートバッハの黄金期は1969-1977年、ヘネス・ヴァイスヴァイラー監督下に訪れた。若々しく華麗な攻撃サッカーで「Fohlen(仔馬たち)」と呼ばれたこの世代は、わずか8年間でブンデスリーガを5度制覇(1969-70、1970-71、1974-75、1975-76、1976-77)、バイエルン・ミュンヘンと並ぶブンデスリーガの絶対王者として君臨した。ベルティ・フォクツ、ギュンター・ネッツァー、ユップ・ハインケス、ライナー・ボンホフ、アラン・シモンセン(1977年バロンドール受賞者)らがこの時代の象徴である。1973-74年欧州チャンピオンズカップ決勝ではバイエルンに敗れたが、1975年と1979年のUEFAカップ制覇で欧州タイトルも獲得した。
近代のボルシア・メンヒェングラートバッハはタイトル争いからは離れたが、スタイリッシュなサッカーと若手育成の名門としての評価は継続している。1980年代後半のロタール・マテウス(後にバイエルンでブンデスリーガ・W杯・バロンドール獲得)、シュテファン・エフェンベルク世代を経て、長年中位からの安定した順位を維持してきた。近年のアカデミー出身者にはマルコ・ロイス(2012年にボルシア・ドルトムント移籍)、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン(現バルセロナ)、ラース・シュティンドル、パトリック・ヘルマンらがいる。1.FCケルンとの「ライン・ダービー」がクラブの地域アイデンティティを定義し、バイエル・レヴァークーゼンとの二次的ライバル関係も重要な対戦である。

